令和3(2021)年の近畿富山県人会総会は、10月24日(日)に京都で開催の予定です。歴史をひも解きますと、次男・三男として生まれた富山県人が少なからずこの京都へ移り住み、持ち前の粘りと頑張りで仕事に向かい、県人グループとしての絆と仲間意識を大切にしつつ、実績と名声をあげて来ています。そんな流れのひとつに利賀村(現 南砺市)からの人材が京都西陣の技術・技能の継承・発展に寄与してきたことがあります。

今回の京都での総会開催を機会に、そのあたりを紹介してもらい、「近畿富山県人会だより第2号」に掲載させてもらいました。ただ、紙面の都合上、いただいた原稿を若干短縮した形にせざるを得ず、また写真も一枚しか掲載できませんでした。

そこで、このホームページでは、より多くの写真も含めて、より詳しく紹介してもらうことと致しました。ご一読くださり、ふるさとの先人達の努力の変遷を感じて頂ければ幸いです。

一般社団法人 京都南砺利賀享友会

                       監事 齊 藤 昇 一


ふるさと富山県南砺市利賀村と享友会の関係について回顧する

春は新緑・夏は涼しく・秋は紅葉・冬は豪雪。四季折々特別な変化に富んだふるさと富山県南砺市利賀村。標高600m・総面積177㎢の山村に、現在は約20集落が存在する。その-集落が私の生まれふるさと長崎村、昭和27年中学卒業と同時に京都の洋服業に就業、8年間実習期間を経て昭和25年独立し、現在に至っている。

独立と同時に享友会からのお誘いで入会以来60年間、ふるさと利賀村と享友会(以下享友会と言う)の関係について回顧を記して見た。

今から約110余年前、明治40年ごろ一人の男性が京都西陣に一歩を印したのが始まりである。当時西陣織の工程(燃糸業)に職を求め根を降ろす、以後友人知人誘い誘われ西陣織関係に就職した同郷の仲間が大正7年「利賀村青年会京都支部」名称で発足させたのが享友会の始まりである。

家の稼業は長男一人いればいい、次男からは家を離れどこかで自立しなければ、と各々が自覚し全国に職を探すべき環境であった。幸い京都西陣織産業が盛んな時期にはふるさと利賀村より親戚、知人を頼り、たちまち人数が増加し、京都の代表的な伝統産業の一部の基本的職人技術の継承・発展に、利賀人材が大きく貢献することとなった。このような同郷の仲間がさらに大きく集いて本格的な団体になり新たに「京都出身会」と改称し、会員それぞれ家庭を持ち家族ともども交流を深めた。「共同墓碑」建設の声が高まり会員各位の寄付金にて京都西大谷墓地にて建立された。昭和12年~20年、いわゆる戦時体制期である。終戦後疎開からの帰京、戦地からの復員と再び同郷人同士が寄り添ったのである。昭和23年在住出身者80余名(所帯主)、翌24年名称「富山県出身京都利賀享友会」と改名されると同時に会の綱領、規約が作成された。なお規約についてはその後改正され現在に至っている。

その後西陣織の盛況に伴い、二世三世の加入により会員150余名に達し、いよいよ会館の必要性が生じる。昭和27年より2年間を要し、ふるさと利賀村からの絶大なる支援と会員相互の協力に依り、昭和29年、敷地130坪木造平屋建の享友会館が竣工した。当時、世帯数130世帯、青年部男女208名、正に絶頂期であった。ふるさと利賀村では各地区で、施設の建設、道路整備と発展、享友会としても出来る限りの協力、各集落毎の行事に参画し、一層交流を密にする。当時享友会の年間行事は、総会・春の祭礼・お盆のお参り・物故者法要・その他リクレーション等、盛大に行われた。しかしながら時代とともに 社会は少子化が進み、利賀村からの出身者が年ごとに減り会員数も定着からだんだん減少に向かう。また享友会員の高齢化が続き、将来について協議の結果、当時の平屋建会館から、実を生む会館に建て替える決議になる。昭和56年頃より様々な苦労もあったが、ふるさと利賀村各位のご支援、会員各位の多大の協力により、59年に一階平屋建から鉄骨三階建の享友会館が建設された。一階は貸ガレージ、二階は会議場及び貸会場、三階はマンションの建物です。当時、私は会計担当として係っていた一人として、いろいろ難題があったことを思い、今「よく出来たな~」と振り返る。この建設が関係者各位相互の信頼と熱意の賜であることを信じて疑わない。

この鉄筋多目的の会館建設と同時に利賀村物産のPRと交流目的のふるさと物産展が毎年開催され今日に至っている。平成元年利賀村村政100周年記念式典が開催され、享友会より多数参加し、女性有志による踊りの披露、式典を盛り上げ歓迎された。同じ年、享友会では旧「共同墓碑」の老朽化により出身者各位のご支援により新墓碑が建立された。平成4年利賀村にて、「世界そば博覧会」が開催され、享友会よりボランティアの参加と共に入場参加者300余名、正に世紀の大イベントでふるさとの宣伝に寄与出来たかなと思う。その後、年一度のふるさと物産展を通じ交流が続くなか、平成12年母村ネットワーク(全国の利賀村出身者が一同に集う会)第一回開催、享友会より70名参加、皆さん我が家に帰った気持で共に語り合い親睦を深めた。その後3年ごとに開催されている。平成16年市町村合併により、利賀村を含む8町村が合併し、結果として「富山県南砺市利賀村」が誕生した。

平成20年、南砺市長に利賀村出身田中幹夫氏が初当選される。若き信頼ある勇者、市政の発展を切に期待いたします。市町村合併に伴い享友会館名義移行問題が発生、色々問題解決を要し、平成24年9月3日移転登記が完了し、「一般社団法人京都南砺利賀享友会」と名称を名付け、現在に至っている。

山深い山村からの離村者同士が、都会の一角に会館を所有し、互いの親睦、交流の場として維持することは、世界でも稀な例とも思い、いささか誇りにも感じますが、今後危惧する課題も多い。

小生16歳から70年近く、京都生活。そのうち60年余り享友会とのお付き合い。ふるさと利賀村の未知の世界を知ることもできました。数多くの先人達との出会い、色々知恵を頂いたお陰で、今の自分の存在と思います。限られた短い余生少しでも世に役立つ事が出来れば幸いです。

一般社団法人 京都南砺利賀享友会

                       監事 齊 藤 昇 一

「京都利賀享友会」会館建設委員会 昭和59年の竣工記念写真

京都利賀享友会 創立35周年記念「会館新築事業」 上棟式記念(昭和58年4月3日)

「京都利賀享友会」会館建設委員会(昭和59年竣工記念写真)

京都利賀享友会 会館建設委員会 (昭和59年7月16日竣工記念)

享友会誌第十一号(記念号 昭和60年10月15日発行)の表紙

享友会誌第十一号(記念号 昭和60年10月15日発行)表紙

利賀村村政100周年行事に参加した京都利賀享友会メンバーによる演舞

利賀村村政100周年行事に参加した京都利賀享友会メンバーによる演舞

利賀村村政100周年記念行事に遠路参加の京都利賀享友会一行の記念写真(平成元年10月20日)

利賀村村政100周年記念行事に遠路参加の京都利賀享友会一行(平成元年10月20日)

綿貫元衆議院議長と田中南砺市長を享友会館にお迎えしての集い(平成22年5月16日)